赤津 諒 RYO AKATSU
2020年 入社
「ただ集まって喋っているくらいならダンスにでも熱量を向けたらどうだ。」と中学時代に友人のお兄さんから言われたのがきっかけです。運動神経には自信があったので難なくこなせると思っていましたが、教えてもらった「ブレイクダンス」が全くできなくて。それがとても悔しかったのを覚えています。それを機に練習を初めて、気づけば友達みんながダンスをしていました。毎日毎日ダンスを続け、チームを作り、いつの間にか大会に出るようになりました。職業としてのダンサーなったのが二十歳の時です。大きな大会で優勝してからは指導者として活動したり、ショーに呼んでいただいたりしました。
指導者になるまでの経験年数を考えると確かに浅い方ではありますが、才能があったわけではないと思っています。私の中ではダンスが「遊び」だったので、練習しているという意識や使命感はなかったですが、向き合っている時間に関しては人よりも長かったのではないかと思います。床と鏡があれば練習できるので、友人とは遊びがてらに適した場所を探し、練習して、注意されたら場所を移動して、といった感じでした。
業務において経営者の方と初めてお会いする機会はほぼ毎日ありますが、ダンスにおいてもワークショップや遠征など、現地で「初めまして」のご挨拶をすることが多いです。ダンスの場合は「踊りを通じて」ですが、人と人が向き合い、そしてつながり合う感覚としては今現在の業務と非常に似ており、通ずる部分があると感じています。
ダンサー時代から「しっかりと人と向き合うこと」については常に意識しています。踊りを伝えるという事は非常に難しく、生徒が「何をわかっていないのか」を指導者がまず理解していないと教えることができません。捉え方や難しいポイントは人それぞれ異なるため、指導する立場としてしっかりと向き合い、生徒それぞれの悩みを私自身が根本から理解することを徹底していました。現在ではダンス指導者としての経験が業務に活きております。
お客様に喜んでいただく瞬間はもちろん嬉しいですが、個人的には家族との時間が増えたことが大きなメリットです。ダンサー時代の主な活動時間は夜から朝にかけてだったので、どうしても「朝方に寝て昼前に起きて」といった生活になり、家族といる時間はあまり取れていなかったですね。今は夕食を家族一緒に食べていますし、子供を寝かしつけてあげることもできています。転職によって生活リズムが大きく変わるということもあり、入社が決定した時には「朝起きられるか」などの不安はもちろん、長年のライフスタイルを変更することへの抵抗はありましたが、いざ初めてみると全く問題はありませんでした。
前提としてですが、転職をしたことを家族がとても喜んでくれています。ダンサーの時は「潤沢な稼ぎがある」とはっきり言えないとろもありましたが、今では資金的な不安はなくなりました。妻も専業主婦になりましたし。収入の変化により住まいも新しくなり、家族の生活の質は上がったと思います。
今となってはダンスに費やす時間はもちろん減りましたが、そのことについては転職を決意した時に私の中でしっかりと割り切りました。それでも、休日のショーに呼んでいただいた時は可能な範囲で練習時間を確保して参加しています。