2021年05月07日
初めまして萩原琉安と申します。
この度、4月から東京本社に入社いたしました新卒の萩原琉安と申します。
1998年9月に沖縄の那覇で生まれました。
琉球の地で生まれたので、琉の字に安心安全に生きて欲しいとの願いから琉安という名前をつけられました。
顔も沖縄顔ですので、是非ともお会いした時に確認していただきたいのですが、
沖縄で暮らしいた期間は非常に短く、2歳から東京で生活しています。
ですので、沖縄に関する記憶は全くなく、生粋の東京育ちでございます。
沖縄について何も知らないので詳しい方、教えていただけると助かります。
小さい時から体を動かすのが大好きでして、小学校、中学校は野球に打ち込んでいました。
ポジションはライト、ファースト、キャッチャーなどを主に守り、打撃には定評がありました。
体も大きかったので、動けるデブと呼ばれていたのは良い思い出です。
プロを目指していた時期もありましたが、野球以上にバレーボールに魅力を感じ、
高校からはバレーボールを始めました。
全国大会出場を目標に練習に励んでいました。
私の代の東京都は非常にレベルが高く3年生の時の春高バレーでは、
優勝、準優勝が東京代表というレベルの高さだったため、全国大会出場の目標は叶いませんでしたが、
目標に向かい部員と切磋琢磨する日々はかけがえのないものになりました。
高校時代はまさにバレーボールにどっぷりと浸かり、YouTubeの再生履歴が9割以上バレーボール関連の動画でした。
大学に入ってからはスポーツサークル以外にも友人の影響で軽音サークルに入り、
レッド・ホット・チリ・ペッパーズやMUSEなど、海外バンドのコピーをしたりするなど、
いろいろなことにチャレンジしてきた人生でした。
人生を結構楽しんできた自負のある私が弊社ピーエムジーに入ろうと思った理由ですが、
実家が幼少期から経済的に貧しかったことが大きな要因でございます。
なぜ私の家は貧しいのか、貧しい家と裕福な家の違いは何か、
どうすればひもじい思いをしなくて済むのか考えていく中で、経済経営に強い興味を持つようになりました。
大学では経営学部に所属し、経済経営の普遍的な知識を学んでいきました。
知識を蓄えていくなかで、2020年初春、コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、
私の学生生活も大きく変わりました。
大学に通うことが出来なくなり、授業は全てオンライン。
就活もバイトも出来なくなり、ただただ家で自粛をするだけの生活になりました。
テレビをつければコロナ関連のニュースばかりで、中小企業の経営が危ない、
飲食店が倒産の危機などネガティブなことしか言われませんでした。
経営学部だったため、実際に縁の下の力持ちとして、
中小企業さまが日本経済を支えてくださっていたのは存じておりました。
中小企業関連のネガティブなニュースを目にすると、このまま中小企業を支援することが出来なければ、
いずれ日本は破綻してしまうのではないかと、少しばかりの危機感を感じていました。
感じてはいたのですが、自分には出来ることはないしなと、
どこか他人事のように日々を過ごし、なんとなく就活をしていました。
何社か企業情報を見ている折、弊社ピーエムジーに出会いました。
ピーエムジーは日本経済を下支えするをビジョンに掲げ、
中小企業を真に支える資金調達をお届けすることを強い使命と考え活動しています。
漠然と考えていた経済への不安感と何か出来ないのかという歯痒さに刺さり、
ピーエムジーのビジョンとアクションに深い共感をし、入社を決意いたしました。
私がピーエムジーで叶えたいことは、1人でも多くの中小企業の経営者さまの経営上の課題をなくすお手伝いをすることです。
経営者さまのお悩みを、1番近くで親身に相談できるパートナーとして寄り添い解決していくことで、
少しずつではありますが、日本経済を支えることが出来るのではないかと考えております。
皆さまのお力になれるよう、粉骨砕身の精神で働きますので、何卒よろしくお願いいたします。
ピーエムジー
第一営業部
萩原 琉安